カント研究会の活動記録(第101回〜第150回) | |||||||||
第101回 | 1996.7.28 | 上智大学 10号館 | 寺田俊郎 | カント実践哲学における自律と自由 (第6巻関係) |
佐藤労 | カントにおける実践的認識と根拠 | 犬竹・大橋 | ||
第102回 | 1996.8.25 | 上智大学 10号館 | 湯浅正彦 | 自由の存在について ―アリソンのカント解釈の検討(第6巻関係) |
福田俊章 | 「道徳法則の下なる意志」と道徳法則の正当化 (第6巻関係) |
植村恒一郎 | 知覚の構造 | 犬竹・大橋 |
第103回 | 犬竹・大橋 | ||||||||
第104回 | 1996.10.27 | 上智大学 10号館 | 山根雄一郎 | ア・プリオリ概念の一位相をめぐって | 新田孝彦 | 道徳法則と行為 | 犬竹・大橋 | ||
第105回 | 1996.12.22 | 上智大学 図書館 | 江川隆男 | 一義性の哲学としての『純粋理性批判』 | 反 省 会 | 犬竹・大橋 | |||
第106回 | 1997.1.26 | 上智大学 図書館 | 佐藤俊二 | 真理問題の諸相―真理の論理学という カントの構想をめぐって |
門屋秀一 | 『判断力批判』における技巧的自然 | 犬竹・大橋 | ||
第107回 | 1997.2.23 | 上智大学 図書館 | 佐藤敦子 | カントにおける美の感情と人間の生 | 桝矢桂一 | 『純粋理性批判』における認識能力の位置づけ | 犬竹・大橋 | ||
第108回 | 1997.3.23 | 上智大学 図書館 | 御子柴善之 | 共同体は道徳のために何ができるか ―カント『宗教論』の一視点 |
中島義道 | 「(私は考える)は私のすべての表象に 伴いえなければならない」について |
大橋・御子柴 | ||
第109回 | 1997.4.26 | 京都学生研修会館 特別研修室 |
村山保史 | カントの革命観 | 田山令史 | 単一性について | 大橋・御子柴 | ||
第110回 | 1997.6.8 | 上智大学 図書館 | 勝西良典 | 純粋理性批判における知覚の問題 | 中島義道 | 統覚の実在性 | 大橋・御子柴 | ||
第111回 | 1997.6.29 | 上智大学 図書館 | 森禎徳 | カントにおける理念の限界について | 平野登士 | 習慣形成と根源的獲得―パースのカント理解 | 大橋・御子柴 | ||
第112回 | 1997.7.27 | 上智大学 図書館 | 蔵田伸雄 | 目的自体と目的の国 | 平田俊博 | カントの理性論―理性のディシプリン | 大橋・御子柴 | ||
第113回 | 1997.8.31 | 上智大学 図書館 | 八幡英幸 | 私の現存在の規定可能性について | 懇 親 会 | 大橋・御子柴 | |||
第114回 | 1997.9.28 | 上智大学 図書館 | 中島義道 | 「私が存在するという感じ」について | 松本正男 | カントにおける心と知の問題 | 大橋・御子柴 | ||
第115回 | 1997.10.26 | 上智大学 10号館 | 舟場保之 | 論証としての第三アンチノミー | 加藤泰史 | 承認論再考 | 大橋・御子柴 | ||
第116回 | 1997.12.7 | 上智大学 図書館 | 佐藤俊二 | 概念をめぐるカントの考察 | 松山寿一 | 合評会『ニュートンとカント―力と物質の自然哲学』 | 大橋・御子柴 | ||
第117回 | 1997.12.21 | 上智大学 図書館 | 平田俊博 | カントの理性論―人間理性のディシプリン | 石川文康 | カントにおける根拠律のゆくえ | 大橋・御子柴 | ||
第118回 | 1998.2.22 | 上智大学 図書館 | 伏原理夫 | 超越論的統覚と経験的統覚 | 渋谷治美 | カントの人間観の原点 ―演繹論「難問」の構造解明 |
大橋・御子柴 | ||
第119回 | 1998.3.29 | 上智大学 図書館 | 桝潟弘市 | カントの発展史における可能性と現存在の問題 | 岩倉孝明 | 人間の問いとしての『純粋理性批判』 | 大橋・御子柴 | ||
第120回 | 1998.4.25 | 京都学生研修会館 研究洋室 |
出口康夫 | 超越論的実在論の試み | 菅沢龍文 | カントの人権思想における戦争と平和 | 菅沢・御子柴 | ||
第121回 | 1998.6.7 | 上智大学 10号館 | 長倉誠一 | 構想力と事実性問題(第7巻関連) | 舟場保之 | 論証としての第3アンチノミー(第7巻関連) | 山根雄一郎 | カントにおける「生得的」の概念の<批判的変容> | 菅沢・御子柴 |
第122回 | 1998.6.28 | 上智大学 10号館 | 平野登士 | 習慣形成と根源的獲得―パースのカント理解― | 市吉経泰 | 実在的根拠とア・プリオリな綜合判断 ―カントにおける証明論の新しい解釈の為に |
犬竹正幸 | “Realität und Kraft bei Kant” | 菅沢・御子柴 |
第123回 | 1998.7.26 | 上智大学 10号館 | 下野正俊 | 超越論的演繹における判断力の位置(第7巻関連 | 山本道雄 | ランベルトの夢――「完全な調和」―― | 菅沢・御子柴 | ||
第124回 | 1998.8.30 | 上智大学 図書館 | 大橋容一郎 | 超越論的自由について(第7巻関連) | 田山令史 | 単一性について(第7巻関連) | 菅沢・御子柴 | ||
第125回 | 1998.9.27 | 上智大学 図書館 | 加藤泰史 | カントのÜbertragungstheorieについて(第7巻関連 | 伏原理夫 | カントの自我論における他者問題(第7巻関連) | 下野正俊 | 『純粋理性批判』における判断力の位置(第7巻関連) | 菅沢・御子柴 |
第126回 | 1998.10.18 | 上智大学 図書館 | 伊藤美惠子 | 崇高論における悟性作用の帰趨 | 佐藤労 | カントにおける化学的親和性 | 菅沢・御子柴 | ||
第127回 | 1998.12.6 | 上智大学 10号館 | 渋谷治美 | カントとニヒリズムの問題 | 黒積俊夫 | 超越論から内在論へ ――真のカント理解のために―― |
菅沢・御子柴 | ||
第128回 | 1998.12.20 | 上智大学 図書館 | 宮島光志 | カント自然地理学における“Erde”概念 ――「世界」の具体相を索めて―― |
檜垣良成 | 合評会『カント理論哲学形成の研究――「実在性」 概念を中心として――』(渓水社) 代表質問者:木阪貴行 |
菅沢・御子柴 | ||
第129回 | 1999.1.31 | 上智大学 図書館 | 植村恒一郎 | “選択の自由”とカント哲学 | 平田俊博 | 何故カントは『純粋理性批判』のモデルを変更した のか――法廷モデルからポリツァイ・モデルへ―― |
菅沢・御子柴 | ||
第130回 | 1999.2.28 | 上智大学 図書館 | 山根雄一郎 | <獲得>から<根源的獲得>へ ――批判的形而上学生成史の一断面―― |
伊古田理 | カントとモナド的存在論 | 菅沢・御子柴 | ||
第131回 | 1999.3.28 | 上智大学 図書館 | 滝沢正之 | カントと懐疑論 | 宇都宮芳明 | 合評会『カントと神』(岩波書店) コーディネーター:平田俊博 |
菅沢・御子柴 | ||
第132回 | 1999.5.8 | 京大会館 | 中島義道 | 自己を<知る>とはいかなることか? ―自己直観と自己認識― |
山本道雄 | カントとヒューム ――構成と虚構―― | 岩倉・木阪 | ||
第133回 | 1999.6.27 | 法政大学大学院棟 | 出口康夫 | 現代科学論カント風―超越論的でアプリオリな 命題は科学において存在するか |
松山寿一 | カントの科学主義 ―ニュートン時代とゲーテ時代の狭間― |
木阪・岩倉 | ||
第134回 | 1999.7.25 | 法政大学大学院棟 | 佐藤労 | カントの実践的認識論と道徳の理由 | 舟場保之 | 「未完のプロジェクト」の未完成と未完性 | |||
第135回 | 1999.8.29 | 法政大学大学院棟 | 卜部小十郎 | アンチノミーとパラドクス | 植村恒一郎 | 想像力について―カントとサルトル― | 岩倉・木阪 | ||
第136回 | 1999.9.26 | 法政大学大学院棟 | 湯浅正彦 | 妄執としての過去 妄執としての自我(わたし) ――カント超越論的哲学による解明の試み―― |
村田全 | 私はカント『純粋理性批判』をなぜに、またいかに して読むか――連続性の問題に関連して―― |
岩倉・木阪 | ||
第137回 | 1999.10.24 | 法政大学大学院棟 | 桝矢桂一 | 現代高度情報化社会におけるカントの意義 (第8巻関係) |
村山保史 | カントの他我認識論(第8巻関係) | 木阪・岩倉 | ||
第138回 | 1999.12.19 | 法政大学大学院棟 | 後藤正英 | カントにおける自然宗教の問題 ―特にヒュームの 自然的宗教論の受容と批判について― |
木阪貴行 | 自己と他者の間 ―内官触発、格率、他者― | 木阪・岩倉 | ||
第139回 | 2000.1.30 | 法政大学大学院棟 | 寺田俊郎 | カントにおける自己決定権 | 中島義道 | カントの身体論 | 木阪・岩倉 | ||
第140回 | |||||||||
第141回 | 2000.4.23 | 大谷大学 博綜館 | 脇坂真弥 | 行為と法則 | 犬竹正幸 | カントの絶対空間論 | 長野順子 | 「美的なもの」の普遍性について | 木阪・岩倉 |
第142回 | 2000.6.25 | 上智大学 図書館 | 堂囿俊彦 | ヒュームとカント――因果律を巡る比較研究―― | 伊藤美惠子 | 『視霊者の夢』における「私」とその批判的展開 (第8巻掲載予定) |
木阪・岩倉 | ||
第143回 | |||||||||
第144回 | 2000.8.27 | 上智大学 図書館 | 朝広謙次郎 | 他者理解と自己 ―最近の自我論― | 小野原雅夫 | 晩年におけるカントの格率概念 | |||
第145回 | 2000.9.24 | 上智大学 図書館 | 菅沢龍文 | カントとヘルダー ―歴史哲学を巡って― | 平田俊博 | 人格性と自我 ―カントとパーフィット― | 木阪・岩倉 | ||
第146回 | 2000.10.22 | 上智大学 図書館 | 朝広謙次郎 | 超越論的統覚と他者 ―カント他者論新解釈の 試み―(第8巻掲載論文原稿) |
Simon May | ‘Why do Kant's ethics still matter ?’ | 木阪・岩倉 | ||
第147回 | 2000.11.26 | 上智大学 図書館 | 山根雄一郎 | 批判的空間に生きる「私」とは (第8巻掲載論文原稿) |
八幡英幸 | カントにおける自己直観・自発性・現実性――形而 上学講義L1から『純粋理性批判』へ―― (第8巻掲載論文原稿) |
木阪・岩倉 | ||
第148回 | 2000.12.17 | 上智大学 図書館 | 寺田俊郎 | カントにおける自己決定権 (第8巻掲載論文原稿) |
伊藤美惠子 | 『視霊者の夢』における「私」とその批判的展開 (第8巻掲載論文原稿) |
木阪・岩倉 | ||
第149回 | 2001.1.28 | 上智大学 図書館 | 長倉誠一 | 経験における「定立する自我」の探求 (第8巻掲載論文原稿) |
土井かおる | カントと近・現代の良心論 (第8巻掲載論文原稿) |
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第150回 | 2001.2.25 | 上智大学 図書館 | 村井忠康 | ストローソンのカント解釈、 および「綜合」に関する若干の考察 |
村田全 | 連続性の問題 | 木阪・岩倉 |